2017年3月31日金曜日

人と犬

海外では訳の分からない大統領の強行発言が波紋を呼び、日本では森友学園問題で与野党相乱れての丁丁発止と、相も変わらぬ御託論争に幻滅を覚えるばかりだ。
しかし、世の中それ程捨てたもんじゃない。光明のさす、明るく感動的な話題もある。

新横綱の稀勢の里関が、左肩の大怪我をものともせず、見事逆転優勝を飾った。地元茨城県民のみならず、3月26日の夕方は日本中が感動の渦に飲み込まれ、沸き返ったのではないだろうか。
我が家でも、米寿に近い両親が、テレビに齧り付きながら歓声を挙げた。言葉にならない程の歓びようであった。
おそらく日本中のお茶の間でも同じような光景が展開されたのではないだろうか。
明るい話題と云うよりかは、感動的な話題と云った方が正しいのかもしれない。

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2017年3月28日火曜日

稲作準備始まる

ここ岩手県南でも、いよいよ土や草木が動き始める季節を迎える。
我が家でもほつほつと今年の稲作準備に取り掛かることになった。一昨日の日曜日には、育苗用ハウス内の整地を行い、苗箱をいつ並べてもいいように準備をすることにした。
播種(種まき)の予定日は4月16日。多少早目とは思ったが何事も段取りが肝心。備えあれば憂いなしだ。種籾の浸漬も済ませた。

あとは時間調整を図り、播種前の準備作業に順次取り組んでいきたい。
因みに今年の田植えは5月21日前後を予定している。
例年ならば約一週間前の第2日曜日前後を予定するが、今年は、作家の及川和男先生の推薦を受けて一関・文学の蔵の総会に出席することと相成った。及川和男先生門下のひとりとして、何よりも優先し、犬馬の労も厭わず、責任を全うしなければならないと思っている。














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2017年3月25日土曜日

サンクスの焼き鳥

牛よりも豚、豚よりも鶏肉。
野菜も殆ど嫌いなものはないが、なかでも一番好きなのはもやし料理である。
安上がりな舌と胃袋を持つ私だが、鶏肉料理のなかでも特に目がないのが焼き鳥である。塩味、タレ味、どちらも好きだ。

土曜日の夕方に放送される俳人の吉田類さんの居酒屋廻りの番組だが、美味そうに酒の肴に箸をつけ、味わい深そうに酒を啜る吉田さんの様子を観て、自分も行った気になりながら、ほんわかとほろ酔い気分になっている。
そんな居酒屋の焼き鳥も美味そうだが、私が今一番嵌っているのが以前も紹介したサークルケーサンクスの焼き鳥である。
甘過ぎずしょっぱ過ぎず、絶妙の秘伝のたれが染み込んだジューシーな鶏ももやネギま、歯ごたえ抜群のハツやボンジリは絶品のひと言に尽きる。
しかしながら残念にも、吸収合併により焼き鳥がなくなるのではないかと懸念されている。
是非とも残して欲しい一品である。ファミマ社長の寛大な計らいに期待したい。


















2017年3月21日火曜日

一関地方短歌会新春短歌会

ここ最近、眼精疲労からか肩凝りが酷く、パソコン画面を視るのもキーボードを弾くのもきつい。
そんなことから暫くブログ等もご無沙汰だった。

一昨日、一関地方短歌会新春短歌会が一関文化センター小ホールを会場に行なわれた。
司会進行は千葉利英(游の会代表)事務局長。昨年度の収支決算報告から始まり、会則の質疑応答、役員改選、本題の短歌大会へと進められた。
いつもなら選者を招き、選評を頂戴してから受賞発表があったが、今回は参加者全員による互選によって受賞の当否が決められた。

<受賞作と作者名>

天賞
明日よりはショートステイに行く夫の爪を切りやる互ひに黙し (鈴木幸子)

地賞
桑の葉を蚕食む音甦る母の夢見し朝の耳底 (佐藤怡當)

人賞
平田船引き揚げてある川の岸に芽吹く柳と菜の花続く (吉田英子)

佳作
「ゆるす」とふ修行積まむと励めども齢朽ちゆくに径なほ遠し (小岩三男)

佳作
大切なカードと思ふもマイナンバー仕舞ひたるまま困ることなし (松村雅子)

佳作
大寒を過ぎたる畑に小蕪抜く凍てしも未だ瑞瑞とあり (岩渕初代)

佳作
山鳥の雄の三羽が飛びて蹴る闘鶏に似るすさまじき見つ (千葉明伸)


因みに、地賞に輝いた佐藤怡當(いあつ)先生は、私が所属する短歌同好会「游の会」にも所属しており、「短歌『手』の会」主宰であり岩手県歌人協会の副会長でもある。

残念ながら私の一首は賞に入らなかった。
◆朝晩の一杯の水「わせむすなよ」祖父の遺言子らに伝へる◆
「わせむすなよ」とは、「忘れるな」の柔らかな方言である。夜寝る前と、寝起きの一杯の水は身体にとって非常に大切であり、命の水である。

<一関地方短歌会今後の主な行事(平成29年度)>
 4月26日  一関文化協会総会(豊隆会館)
 4月29日  第38回西行祭短歌大会(中尊寺本堂、選者:栗木京子先生)
 未 定   第39回西行祭短歌大会実行委員会
 10月15日 第68回一関文化祭協賛一関地方秋季短歌大会(一関文化センター小ホール)

尚、役員改選(2年毎)では会長を初め、ほぼ既存の役員が続投と決まったが、不肖私めも会計監査の任を預かることと相成った。


























2017年3月11日土曜日

3・11平泉浄土のあかり毛越寺

あれから6年の歳月が流れた。
「何が変わったか」と6年間を振り返ってみたが、特段変わった事は思い浮かばない。強いて云うなら涙腺の緩み具合が多少気になるようになった。
勿論老化現象の一つでもある涙腺の緩みだが、特に、6年前の大津波によるあまりの酷さ、多くの犠牲者を目の当たりにすれば尚更と云うもの。

ちょうど6年目の本日、平泉町の毛越寺本堂前で、「3・11平泉浄土のあかり毛越寺」が、NPO法人みんなでつくる平泉の主催で午後2時15分からキャンドルに明かりが灯された。
そのキャンドルは、中尊寺や毛越寺から譲り受けた蝋燭を溶かし、地元の女性らの手によって新たに色付けされ、成形したものだとのこと。とても綺麗に仕上がっている。

その後会場を本堂に移し、震災発生時刻の2時46分に合わせ、地元のご婦人方の御詠歌から始まり、毛越寺の僧侶らによる7回忌の法要が営まれた。
約1時間の読経の後、千葉慶信執事長のご挨拶があり、そのなかで3月6日に来県された第257世天台座主 森川宏映大僧正のお言葉を紹介された。なかでも、法華経の第16章如来寿量品の「常懐悲感(じょうえひかん) 心遂醒悟(しんずいしょうご)」を引かれたが、その意味を説明された時には流石に私の涙腺も崩壊してしまった。

意味は、「常に悲しみを懐いて、心遂に覚醒す」則ち、常に悲しみを懐いていると、その悲しみが心を浄化し、神仏やご先祖が安寧の世界へと導いてくれると云う意味とのこと。
悲しいことや辛いことがあれば、通常ならば考え方を改め、前向きな発想によって克服すべしと云うのが一般的だと思うが、それはなかなく難しいことだ。
悲しい時は遠慮することなく悲しめばよい。また一つ、悟った気がする。
















2017年3月9日木曜日

天の声?

総理婦人の公人や否や、その他にも次から次と芋づる式に問題が噴出し、露呈する森友学園に纏わる問題だが、更なる疑惑が、安倍総理の友人関係から持ち上がっている。

現在の日本に於ける家畜の飼養戸数は、経営規模の拡大化、大型化もあって、牛の場合は平成2年から平成22年迄の増減の推移をみると、23万戸から7万戸と大幅に減っている。養豚は4万3千戸から6千9百戸と約六分の一に激減している。飼養頭数、つまり牛や豚などの個体数についても概ね減少傾向にあるようだ。
また、家畜以外のペットについても、猫は横ばい、犬は減少傾向にあるようだ。

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2017年3月6日月曜日

春をさがしに

昨日の日曜日は久方ぶりに予定もなく、丸一日自由な時間を満喫することができた。
穏やかな陽光に包まれ、そろそろ猫柳も最盛期を迎えている頃だと、東北の遅い春を探しに、ひとりぽつねんと小川辺を散策することにした。
浄らなる小川のせせらぎと、嫋々たる春風を受けながら小川辺の猫柳がたゆたっていた。

春が近づくにつれ、新たなる旅立ちを連想するとともに、4月生まれの私はもう時期またひとつ齢を増す季節となる。
歳は取りたくないものだと誰しもが思うだろうが、この世に生を得た以上絶対に避けては通れない現実である。そんなことから、どんな歳の取り方をすべきかを色々考えさせられる季節でもある。
そんな矢先に、 敵(かたき)を取ろうとして更に敵を増やす御老体もいるようだが、そんな歳だけは取りたくないものだと、弁明の記者会見を観て思った次第である。





















2017年3月5日日曜日

露天のひとり湯

ここ暫く、眼精疲労からかキーボードを叩くのは勿論、パソコンの画面を前にするだけでも無性に肩凝りがひどい。かと云って全く遠ざかる訳にもいかないが、極力キーボードに触らぬようにと務めざるを得ないのが現状だ。
以前にも何度かあったが、今回のは寒さの所為もあってか回復が遅いようだ。
その肩凝りの解消や、膝痛の緩和を目指して久方ぶりに温泉に行ってみることにした。

各人、その人なりのお気に入りの場所、相性のいい温泉があると思うが、私には矢びつ温泉「瑞泉閣」のお湯が合っているようだ。美人の湯として知られるが、その点に於いては、全く縁はない。
極力混まない時間帯を見計らって行くようにしている。
未だ風は冷たいが、清流の清らかなせせらぎを耳にしながら、顎の上までどっぷりと浸かる露天のひとり湯は、また格別なのである。